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「辻が花」が流行した時代は、戦乱の世から天下統一の気運がみなぎる新たな時代へと激動したときでした。
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下克上(げこくじょう)による新興勢力の台頭は、中世的な呪縛から人々を解放し、現世謳歌(げんせおうか)の風潮をうみだしました。
そこには新しい意識を反映した溌剌(はつらつ)とした美の意識がありました。
服飾にも明るく華やかな装飾性が求められ、辻が花もまた、みずみずしい造形美を展開しました。 |
| しかし、天下統一の気運がみなぎる新たな時代を基盤に花咲いた辻が花も、やがて消えていく運命にありました。 |
描絵(かきえ)、摺箔(すりはく)、刺繍(ししゅう)、鹿子絞り(かのこしぼり)などが加わるにしたがって、縫締(ぬいしめ)や帽子絞りの、辻が花本来の絞り染めの特色や味わいはしだいに薄れていきました。
ここに次世代に連なる過渡的な要素がみられ、戦国の武将たちが愛(め)でた「辻が花」がいよいよ終わりを迎えることとなったのです。 |
「辻が花」が短命であったのは、辻が花の技法の中にも限界があったものの、華やかさを求めた軽薄な世の中にも罪があったといわれています。
しかし「辻が花染」は慶長以後の小袖染色に絵画性と多色性を発展させる原動力となったものとして、染色史上大きな足跡を残すこととなりました。 |
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菱格子に桜(16世紀)
段に竹(16世紀)
桐矢襖文様辻が花染胴服
(桃山時代 重文)
京都国立博物館

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